2012年4月20日金曜日

見えないツボ 音響

平家の舞台が終わって一週間。いまいち体が休めていないので、思い切って鍼に行きました。体中ばりばり。「あ〜、こりゃひどいねぇ!刺し甲斐があるよ。」ほらここ、ここもね。と言いながら、先生は鍼を刺していきます。ドンピシャ、ずーんと鈍く響く心地よさ。たった2ミリほどの深さです。なぜ、ツボが分かるのかしらんと思いながら、いつのまにか爆睡。からだ中が液状化や〜と思いながらふらりふらりと帰宅すると、黒やぎさん、ならぬ、音響の黒さんから分厚いお手紙が。。。開けてみると先週の舞台公演の録音CDでした。ちょっと聞き始めたら、さっそく永田さんから電話があって、「柔らかないい音で録れていますね」と仰っていました。

いい音。

ってなんでしょう?


今回の舞台では、永田さんの楽器の音を細かくマイクで拾い、私の声もマイクで拾っています。音の響きはそれぞれの劇場によって様々な特性がありますが、今回はどちらかというと響かない劇場です。しゃべりはともかく、楽器にとっては響かないのは結構厳しいものです。低くて大きな波紋音、高くて繊細な波紋音、おりん(仏具)を擦る音。。。
永田さんの奏でる音色の一つ一つを当たり前のように耳で味わえるように、私の語る声や歌声が当たり前のようにお客様の耳にしみこむよう調整するのが、音響さんのお仕事なのです。

ベテラン音響の黒さんも、波紋音は今回が初めて。
まずは、どんな音がするのかと、私と永田さんの稽古を聴きにいらっしゃいました。

永田さんは使用する波紋音のあれこれを叩いて見せて、様々な音を黒さんに聴かせてはいろいろと楽器の特徴を説明します。
「この子は水っぽい音で〜〜、このさゆりちゃんは、純情な音〜〜、このニキビ君は〜〜」

…さゆりちゃん??ニキビ君??

やっぱり永田さんは面白い。

黒さんは「なるほどね」といいながら一通り稽古を聴くと、下からの波紋音の響きはどう聞こえるのか、と永田さんに持ち上げてもらって音を聴いていました。
「はい、分かりました。」
黒さんは患者を診終わったお医者さんのようでした。

その次の稽古の時、ドクター黒さんは床材に注目していました。波紋音は楽器の響きだけでなく床にも響きが伝わります。さらに、ある章段で使っていた波紋音の音が私の声と近い音が含まれていて、かえって、深みや厚みが感じられないと指摘。
なるほど、たしかにその時、やけに自分の声がきつく耳に障るなあと感じたのですが、そのせいか〜〜ドクター黒さん、さすが、すご!

劇場に入る前に、黒さんが「音はこちらがちゃんと調整しますから、気にしないで思い切り演奏してください」と伝えると、永田さんはとても安心したようでした。

音響設備もない小さな会場でやる時などは演奏者や語り手自身が音量を気にして手加減することも多いので、心配せずに演奏し語れるのは何よりです。

そして本番。

永田さんは普段見たこともないくらい、思いっきりのびのびと波紋音を叩いていました。その力強い音が劇場中に響き渡ります。そして繊細な音もしっかりと聴こえて来ます。私はマイクを意識することなく、一人一人の耳に自分の声が届いているのを感じました。今様を歌う時にはすーーっと声が伸びて会場に染み渡るようで、自分の歌声が魔法の力を持っているような錯覚に陥りました。本当に気持ちよかった。

舞台にいる私たちには、なにがどうなって、音が響いているのか分からないのですが、きっと、黒さんは見えないあちこちのツボに微妙な案配で鍼を打って、ここちよい響きを生み出してくれているんだなあ、と。液状化の私は布団にひっくり返ってCDを聴きながら思いました。

2012年4月16日月曜日

照明家という生き物

プレーリードッグか?いいえ、照明作業中です。
照明の横原氏を最初に「捕獲」したのは昨年の9月「平家物語 木曾三話」公演の打合せで松本の劇場を訪れた時のことです。

最初は、普通の朗読会として依頼された(であろう)「平家物語」松本公演。
主催者のKさんから「会場はまつもと市民芸術館小ホールを押さえましたから〜」と電話が来た時に、私の脳内にはビビビーっと電気が走り、石炭エンジン全開、ぷっしゅーっと煙を吐き始めました。ここ数年何度も出させていただいている大好きな素晴らしい芸術館の舞台でやれる!!これは…これは…ただ座って読む朗読ではもったいない!
ずっと実現したいと思っていた「コンテンポラリーな語り芝居・平家」をやろう!

その日から、私は「1,とにかく面白がって、2,少ない予算の中で、3,古典をモダンに料理できる、誰か」を、岩の奥に潜むオオサンショウウオのように、じぃぃっと探し始めました。

そしたら、偶然、目の前にぴらっとトクマスさんが現れました。よし、捕獲。
説明すると「それ、すっごく面白いーっ!!やるーっ!」

二人で舞台のプランを固め、松本の劇場に打合せに行くと、ますます夢は膨らみ
「やっぱり…照明が要るね。どう考えても要るね…。」
いったい誰にお願いすればいいのか〜。

しばらく劇場内の稽古場などに顔を出し、
いよいよ東京に帰るかと、エレベータに乗ろうとしたら、

「あ…!」
「お…!」

エレベータから照明の横原氏が現れたのです。

出た〜〜〜〜〜〜!居た〜〜〜〜〜〜〜!!

2人がかりで、速攻アタック。
この日空いてる?舞台装置の図面これなんだけど!ね?ね?面白そうでしょ?いや、絶対面白いよ。照明当てたくなっちゃうでしょー?(←トクマス)やろうよ〜〜〜!!お金無いけど(←カネコ)。

というわけで、無事横原氏を捕獲完了!

忙しいスケジュールの合間を縫って打合せ。
「古典に全くとらわれずコンテンポラリーな明かりで、遠慮なく、ざくざく空間を作ってほしい」とお願いすると、ふんふんと話を聞いていた横原氏は、あっさり「はい、分かりました。じゃ。」といって忙しく帰って行きました。

通し稽古にも至らない立ち稽古1回を経て、当日仕込みと本番で、ぞくっとするような明かりを作った横原氏。
役者は舞台の上で明かりに助けられることが多々あります。演技に寄り添ってすっと明かりが変わるだけで感情が溢れてくることもあります。まさに物語の空間を作り、役者を存在させてくれる明かりでした。

そして、今回の公演でも、横原氏の活躍はスバらしかったです。

私が、平家全体の流れを…と選んだバラバラなお話が5つ。(こんなに難しいとは思いもよらなかった)。

美術のトクマスさんはうんうんうんうん唸り続けた挙げ句、「在るようで無い、無いようで在る」絶妙な空間を産み出しました。しかし、それは照明なくしては成立しないもの。「あとはよろしく!」と横原氏にどーんと投げて、ひたすら銀パネル制作に没頭。

私は、照明や空間の断片的なイメージは割とはっきりあったものの、肝心の語りをどう立体に組み上げるかプランがなかなか固まりません。自分で選んでおきながら「誰だいったいこんな難しい組み合わせにしたのは!」と稽古場の隅でぶつぶつ。
特に難儀したのは「橋合戦」と「坂落」の戦の違いをどう出すか。

稽古場で、例の見えない照明ビームを目から出しながら、我々を凝視していた横原氏。
思い切って聞いてみると、非常に的確な意見が。
ああ、彼の目にはシーンが見えているんだなあと何度も思ったものでした。

そして、怒濤の仕込みと最初で最後の舞台稽古を経て出てきたものは、
トクマスさんの美術を見事に存在させ、くっきりとそれぞれのシーンを立ち上げた明かり。
照明によって私は平家物語の世界に本当に生かされ、動かされていると感じました。

打ち上げで四者四様に互いの謎解きをするのもまた楽しかったです。宴もたけなわ、次第に酔っ払ってきた頃、どうやって明かりをつくるの?頭ン中どうなってるの?輪切りにして見せてみろなど、ほぼ絡み始めた私たち。すると突然、横原氏は、えへへと笑いながら
「もう…、明かりが、ほんとに大っ好きなんすよ…俺。」

く〜〜〜たまらんね。まったく。

「楽しかった−!またやりましょうね」と去っていった横原氏。
今日もどこかで「大好きな明かり」を当てているでしょうね。

そうそう、横原君、どうしよーかなーと言っていた、例の平家の本。
次回までには買っておいてくださいよ。

(しかし、私も客席から照明見たかったなぁ…。出てると見られないんだもの。)

2012年4月14日土曜日

美術家のこだわり

今回の公演パンフレットには、語り、音楽、美術、照明、四者四様の作品への思いが書かれているのですが、その中に、美術のトクマスさんが「誰にもわからないかもしれない見立て」があるんですよ、とつぶやいておりました。さて、それがなんだかわかった方はいらっしゃるでしょうか?
トクマスさん自身のブログでその答えを書いていますので、まずはそちらをお読みください。
http://to-ku-3.jugem.jp/?eid=33

お読みになりました?
…そうなんですって!

トクマスさんが最初に模型を持って現れた時、むふふと笑いながら、後ろの格子を指差しながら
「アノネー、コレ、地図ナノー、平安京」と言った時、
あまりのお茶目さに吹き出してしまいました。アホや〜この人と思いつつ、お客様は何だか分からないと思うけど、ま、トクマスさんが楽しそうだから、ハイハイどうぞ的な返事をしたような…。
するとその後の照明の横原氏との打ち合わせでもトクマスさんは、模型を見せながら「アノネー…」と説明しはじめました。
それを聞いた横原氏は「あ…ハァ…」と複雑な顔。ほれ見ろ、余りにベタで横原氏ドン引きだよ〜トクマスさ〜ん、と思いきや、横原氏ニヤリと笑って「こういうラインがあると照明当てたくなっちゃうんすよね〜」。
出た…照明家。
何かがあれば明かりを当てたくなるのが、照明家の性なのね。
その後、トクマスさんは、「デショー?ソレ、鴨川。デ、コッチガ西八条〜」などと話し続けている。それを聞いているのかいないのか、ハァとかフムとか言いながら、横原氏は目をパチパチさせて模型を凝視。あぁ、きっと横原氏の目からは見えない照明ビームが出でおり、どう当ててやろうかと企み始めたに違いない…。
模型は本番に至るまで私の家の食卓におかれ、演出や自分の動きを検証するために使わせてもらっていた。
そして、本番が終わり、今私はまんまとトクマスさんの術中にはまったと感じている。
平安京の地図なの〜というトクマスさんの言葉は体の何処かに残り続け、いつしか舞台の上で、私は、平安京を背負って立っていた。

2012年4月13日金曜日

花散る春の宵

昨日から散り始めた桜が降り積もる中
宵闇の空気を胸一杯に吸い込むと
切なさがこみ上げてきて

舞台が終わってしまったんだなぁと
つくづく寂しい。

昨日は一日異界に半分漂っていました。

難しい仕事だけれども
一つの世界を、空間を、造形する
舞台というもののしたたるようなおいしさを
久々に味わったかもしれません。

予想以上の大勢のお客様にご来場いただき
心より御礼申し上げます。初めてご覧下さる方がとても多くて
とても嬉しいです。

今回、「語り×波紋音×美術×照明」という四つ巴の舞台を見ていただきました。
題材は古典だけれども、それをいかに現代に引き寄せるか、コンテンポラリーな平家物語を作りたい。それを感じて下さったお客様も多く、私たちは嬉しいです。

たとえ言葉は分からなくても、なんだか面白かった、と思っていただければ
幸いです。

いろいろなご感想を頂いた中で、
いくつか印象に残ったものは

「古酒と新酒を一度に味わった感じ。」

「始めは難解に聞こえていた原文が次第に分かるようになってきた。」

「現代アートだと思った。」

極めつけは

「金子さん、いやあ、ずいぶんうまく現代語訳してしゃべってたねぇ。原文が聞きたかったなぁ。」

「は、はあ??? いえ、あの〜全部「原文」のままだったんですけど、、、」

「えー!?そうだったの?気がつかなかったなあ!わはは。」

もしかして最大のほめ言葉かもしれません。(笑)



ありがとうございました。

次回新作公演にもぜひお越しください。
また、昨年の「木曾三話」もいろいろな所で再演したいと思っています。

2012年4月10日火曜日

無事

初日の幕が開きました。
当日劇場に乗り込んで仕込み、興行を打つことを、乗り打ち、と言います。
本日、乗り打ち。短い時間の中で、ここぞプロの腕の見せ所と、各分野のスタッフがきっちり仕事をしてくださって、滞りなく幕が開きました。
彼らの仕事振りには本当に惚れ惚れとします。
青臭い言い方かもしれないけど、一つのことに向かって力を出し合うという究極の瞬間芸かもしれませんね、舞台というものは。もちろん、仕事ですから、彼らにとっては当然です。しかし、言い出しっぺとしては、本当に頭が下がります。責任感じます。
そして、当日も含めてたくさんのお客様がいらしてくださいました。よく、集中して、聴いてくださいました。そのパワーは確実に舞台の私達のエネルギーになっています。
さぁ、明日は二回公演。どう進化できるか。頑張ります。
おやすみなさい。



2012年4月8日日曜日

明日、初日

桜の花のパワーをお裾分けして頂き
精のつくものをせっせと食べて
今日は早寝をすべしと思っている金子です。

永田さんは今頃どうしているでしょうか?
明日どうぞよろしく。
どきどきしますね。

さて、昨日まで連載していた各章段のあらすじや見どころはお読み頂けましたでしょうか。調べるといろいろと面白いことがあって書ききれないのですが、後は、明日、劇場で、皆さんと一緒に平家物語の言葉を楽しみたいと思います。

そうそう、今回はそれほど沢山出てきませんが
「やがて」という単語、古典の中ではしょっちゅう出てきます。

これ、どれくらい時が経つ意味だと思いますか?
なんとなく、少し時間が経ってからという感じで日頃使ってませんか?

しかし、古語辞典を引くと「間もなく、続けてそのまま」と出ています。
その意味を知って古典の文章を読むと、状況が正確に分かります。

今回は二位尼が入水する時に、「やがて」と出てくるのですが、
そこは、のんびりと入水するのではなく、安徳天皇をなぐさめたら、すぐにそのまま海に飛び込むということなんです。
このことがわかると心情が一層伝わってきます。

おまけでした。


***********

「平家物語」
【出演】語り・金子あい/波紋音・永田砂知子
【演目】祇園精舎 ・祇王 ・橋合戦・坂落 ・先帝身投
【日時】4月9日(月)19時 /10日(火)14時 、19時
【会場】座・高円寺2 (JR中央線高円寺駅北口より徒歩5分) 杉並区高円寺北2-1-2 tel.03-3223-7500 http://za-koenji.jp/guide/index.html#link2
【チケット料金】前売3,500円/当日4,000円/高校生以下1,000円(全席自由)
※当日券は開演1時間前より販売。高校生以下割引は平家物語実行委員会のみで取扱。※未就学児のご入場はご遠慮下さい。
【チケット予約・お問合せ】平家物語実行委員会 090-6707-1253 heike@parkcity.ne.jp

2012年4月7日土曜日

先帝身投

さて、いよいよ、今回のクライマックス、壇ノ浦における安徳天皇の入水のお話です。
平家と言えば壇ノ浦でしょう…と思いきや、一連の壇ノ浦のどのお話も、連続ものになっており、この続きは次回のお楽しみに〜〜〜という構成になっており、とても一つなんて選べません。これは昔の琵琶法師達の、次も聴いてもらおうという営業戦略だな…などと思いながら読み進めてみると、この壇ノ浦の合戦、始めは船が何千艘といった軍勢全体の描写なのですが、その後は、個々の武将達の戦い振りの描写に移っていきます。ものすごく物量感のある迫力あるシーンだったような気がしていたのですが、一人一人の戦い振り、つまり死に様生き様のディテールを積み重ねてこその戦の迫力なのだと言うことがあらためて分かります。

とても沢山面白い話があるので、ぜひ又別の機会にお聴き頂きたいとおもいますが、今回は、もう、平家にとっていよいよお終い、という安徳天皇の入水のお話をお聴かせいたします。

とても短いシーンです。

あらすじを見てみましょう。

ーーーー

1185年(元暦二年)3月

大将軍の平知盛は小舟に乗って安徳天皇の船に赴き、「世の中は今はこれまでと見えました。見苦しいものをみんな、海へお投げ入れください」と言って自ら船を掃除した。知盛からの知らせで覚悟を決めた清盛の妻・二位殿は、落ち着いて喪服に着替え、三種の神器のうち、神璽を脇に抱え、宝剣を腰に差して八歳の安徳天皇を抱いて船ばたへ歩み出る。
「尼ぜ、私をどこへ連れていこうとするのだ」と問う安徳天皇に対し、二位殿は「極楽浄土という結構なところへお連れ申し上げますよ」と泣きながら答える。幼帝は涙を流しながら手を合わせて念仏を唱えたので、二位殿は幼帝を抱き、「波の下にも都がございます」と慰め、海中に身を投じた。

ーーーー

たったこれだけなのですが、8歳の安徳天皇のあどけない様子が、運命とはいえ、命を絶たれなければならなかったむごさをいや増しており、本当に胸が痛くなります。二位尼は安徳天皇にとってはおばあちゃんにあたります。清盛亡き後、一門の運命を見守ってきた彼女にとっては、かねてからの覚悟で「私は女だが、敵には絶対に捕まらない。天皇のお供に参るのだ。志のある人は急いで後に続きなさい」といって、船端に歩み出ます。安徳天皇は海に向かう祖母を見て「どちらへ連れていこうとするのか」と聞きます。二位尼は「せっかく天皇に生まれたけれども、ご運は尽きてしまった。東に向かって伊勢大神宮にお暇を申し、西に向かって西方浄土から仏様達にお迎えにあずかろうとお念仏をお唱えなさいませ。この国は悲しい嫌な所ですから極楽浄土という結構な所に連れて行って差し上げますよ」と泣きながら申し上げます。すると8歳の安徳天皇は「御涙におぼれ」というのですから、激しく涙を流しながら、ちいさなかわいらしい手を合わせて言われたとおりにするのです。

…書いているだけでもこちらが御涙におぼれそうです…

「波の下にも都のさぶらふぞ」となぐさめ奉って千尋の底へぞ入給ふ。

…そんなもの、そんなもの、ないのに…いくら慰めても、結局は大人の都合で子供が犠牲になるのです。せめてこの幼い子には都があってほしいと願わずにはいられません。

原典平家物語はこの後、知盛を始め入水し命を絶つ人々や、宗盛親子のように往生際の悪さに味方から海へ蹴落とされるといった様々な平家の様子を描いています。

一ノ谷の合戦から一年、瀬戸内海を船で漂流し続けた平家一門。
その最盛は20年にも満たないものでした。

ーーーー

構成段階から散々、スタッフに相談しながら、解説を舞台上で入れるか入れないかで悩みつつ、やはり今回もきっぱりと解説は入れないことに決めました。
まるごと原文の世界に浸って感じて下さい。

このブログに載せてきたあらすじや出来事の背景などは、当日のパンフレットでお読み頂けます。



2012年4月6日金曜日

坂落

「鵯越の坂落し」と言えばご存じの方も多いと思います。

源氏は、梶原、熊谷の攻撃をもってしても、堅牢な一の谷をなかなか落とすことができませんでした。
平家が城郭を構えた一の谷は、目の前が海で、背後に険しい断崖を背負った天然の要塞。
大手から攻めていても勝ち目がないと、九郎御曹司義経は搦め手に回り、背後の鵯越の断崖絶壁から3000騎の兵で奇襲をかけたという話です。

あらすじを見てみましょう。

ーーーー

寿永3年 2月

一ノ谷(神戸)に城郭を構えた平家を討とうと、義経は一ノ谷の背後に位置する高台・鵯越(ひよどりごえ)に到着。断崖絶壁の上であり、平氏は山側を全く警戒していなかった。
義経は無人の馬を試しに追い落とし、三頭が無事に駆け下りたことを確認すると、「心して下れば馬を損なうことはない。皆の者、駆け下りよ」と言うなり先陣となって崖を降りていく。だが、苔むした大岩石がまるで垂直に十四、五丈(約45メートル)も切り立っている途中まで降りてきたときは、あまりの険しさに兵たちも「もう最後だ」と観念する。
そこに佐原十郎義連(さわらのじゅうろうよしつら)が進み出て、「三浦(神奈川の三浦半島)では、鳥一羽を追うにもこれしきの坂は駆けている。三浦では、これは馬場だ」と言うなり真っ先に駆け下りたので、三千余騎もみな続き、人馬もろとも怒涛の勢いで一気に急な崖を駆け下りた。人間業とも見えず、鬼神の仕業かと思われた。
義経隊の鬨の声は山々に反響し、まるで十万の大軍のように響いた。平地に降り立つと平家の陣に突入。奇襲に驚いた平家方は大混乱となり、義経軍の村上判官代基国の手の者が火を放つ。平氏の兵たちは海に逃げ出すが、多くが船に乗れずに海で溺れ、味方に切られる者もあり、平家は総崩れとなって四国の八島へ落ちのびる。

ーーーー

この戦は、「橋合戦」で源平が初めて戦をしてから4年後の事です。
橋合戦と大きく印象が違うのは、戦はいよいよ激しくなり両軍とも疲弊感が漂っていることです。ことに、きらびやかな武将達がうち揃って宇治橋に進軍していった事を思い出すと平家のこの後の運命を嫌でも感じざるを得ません。

冒頭では、兵達の凄惨な戦い振りが淡々と語られています。

…怪我をした兵を肩に担ぎ後ろに逃げていく者あり、傷が浅いので戦い続ける者あり、深手を負って討ち死にする者もあり、馬を押し並べて組んで落ち、差し違えて死ぬ者もあり、取って押さえて首をかくもあり、首をかかれる者もあり…

音のない、まるで絵巻物の部分をアップであちこち見ているような、そんな風に感じられます。

この章段は誰か一人の人物を描くというよりも、語り手(作者)の視点が、どこかクールに、でも、遠くから近くから対象を見て、自在に変化するのが興味深いシーンです。

おなじ戦でも橋合戦とは全く違いますね。

このシーンの最後は、算を乱した平家の軍勢が汀に泊めてある大船に我先にと大勢乗って船が沈み、身分の高い人だけしか乗せないといって取り付く雑人どもが腕を切られ肘打ち落とされて一の谷の汀が真っ赤に染まり死骸が並み伏した、数々の戦で一度も負けたことのない能登守教経でさえ、何を思ったか四国の八島へ落ちていった。

というものです。とても短い言葉の中にものすごい物語が語られているのです。耳をそばだててお聞きになって下さい。

皆さんの頭の中に合戦の絵巻物が浮かぶといいなあと思っています。


***********

「平家物語」
【出演】語り・金子あい/波紋音・永田砂知子
【演目】祇園精舎 ・祇王 ・橋合戦・坂落 ・先帝身投
【日時】4月9日(月)19時 /10日(火)14時 、19時
【会場】座・高円寺2 (JR中央線高円寺駅北口より徒歩5分) 杉並区高円寺北2-1-2 tel.03-3223-7500 http://za-koenji.jp/guide/index.html#link2
【チケット料金】前売3,500円/当日4,000円/高校生以下1,000円(全席自由)
※当日券は開演1時間前より販売。高校生以下割引は平家物語実行委員会のみで取扱。※未就学児のご入場はご遠慮下さい。
【チケット予約・お問合せ】平家物語実行委員会 090-6707-1253 heike@parkcity.ne.jp


2012年4月5日木曜日

橋合戦

チラシには書いてありませんが、今回は「橋合戦」という短いシーンを追加しました。
平家物語の醍醐味はやはり合戦のシーンの描写の迫力にあります。
昨年の「木曾義仲三話」で合戦シーンの面白さに味をしめてしまった私と永田さん、当初から選んでいる「坂落」が全く異なるシーンなので、やはり賑やかな場面も折り込もうということになりました。

この橋合戦は、平家物語の中で、源平の初めての戦です。ですから、なんとなく両軍にも力がみなぎっていて華やかだったり元気だったり、そんな感じが伝わってきます。

あらすじを見てみましょう。

「橋合戦」治承四年五月

即位の道を断たれ、平家打倒に立ち上がった後白河法皇の子・高倉宮以仁王(もちひとおう)の軍勢が、宇治橋を舞台に平家軍と戦う。平家方は序盤、劣勢に追い込まれるが、馬にイカダのような隊列を組ませて川を渡り、平等院になだれ込む。
平家物語の中で最初となる合戦場面。まだ勢いのあった平家方が勝利を収めるが、この動きが平家打倒ののろしとなり、以後、日本は源平の争乱という未曾有の動乱時代に入る。


源頼政の勧めにより平家に背いた高倉宮は、味方につけた三井寺(大津)の僧兵とともに興福寺(奈良)へと向かう。だが途中、前夜の睡眠不足がたたったのか、高倉宮は六度も落馬。そこで、追ってくる平家方に宇治橋を渡らせないよう橋板三間分をはずし、平等院でしばらく休憩を取った。平家方は橋板がないのを知らずに橋を渡ろうとしたため、先鋒の二百余騎が川に流された。
高倉宮方の僧兵の一人、筒井の浄妙明秀(じょうみょうめいしゅう)は、弓、長刀、太刀を持ち替えつつ橋桁の上を進み、蜘蛛手や十文字、とんぼ返りなどの妙技を見せながら切りまくるなど、活躍。橋の上の戦いは火が出るほど激しさを増した。
追い詰められた平家方だったが、関東武士の足利忠綱(あしかがただつな)が進み出て、「関東武者の常として、敵を目前にし、川を隔てた戦いで水の深さなど選り好みすることがあろうか」と、自ら先頭に立って馬を川に乗り入れた。忠綱は大声で指図しながら馬に隊列を組ませ、三百余騎を対岸へ上陸させた。

ーーーー

言葉だけで、戦の躍動感あふれる様を表現しているのですから、是非言葉のリズムや力強さを堪能していただきたいです。場面の最後は、足利又太郎忠綱が利根川を渡った時の渡り方を大声で指図します。
「強い馬を上手に立てよ、弱い馬を下手にせよ。馬の足の立つ間は手綱をくれて歩かせよ、馬が踊り上がったら手綱を引き締めて泳がせよ。流されたものは弓の筈にとりつかせろ。手を取り組み肩を並べて渡すようにしろ。鞍壺にしっかり乗って鐙を強く踏め。馬の頭が沈んだら引き上げてやれ、強く引いてひっかぶるな。水が浸ってきたら馬の三頭の上に乗りかかれ馬には優しく、水には強く当たれ、川中で弓引くな、敵が射てもそれに応じるな、いつも兜のシコロを傾けよ、あまり傾けすぎててっぺんを射られるな。流れと直角に渡して押し流されるな。水に逆らわないで渡せや渡せ。」

思わず、ほほぉ〜と唸ってしまいました。
このハウツーなら本当に河をわたれそうな気がしてきます。
こんな具体的な描写がとても面白いんですよね。

人生で、もし、こういう場面に出くわしたら
試してみようかな、と思ってます。(笑)


***********

「平家物語」
【出演】語り・金子あい/波紋音・永田砂知子
【演目】祇園精舎 ・祇王 ・橋合戦・坂落 ・先帝身投
【日時】4月9日(月)19時 /10日(火)14時 、19時
【会場】座・高円寺2 (JR中央線高円寺駅北口より徒歩5分) 杉並区高円寺北2-1-2 tel.03-3223-7500 http://za-koenji.jp/guide/index.html#link2
【チケット料金】前売3,500円/当日4,000円/高校生以下1,000円(全席自由)
※当日券は開演1時間前より販売。高校生以下割引は平家物語実行委員会のみで取扱。※未就学児のご入場はご遠慮下さい。
【チケット予約・お問合せ】平家物語実行委員会 090-6707-1253 heike@parkcity.ne.jp




2012年4月4日水曜日

文化放送 くにまるジャパンに出演しました!

くにまるさん、涙子さん、とーっても楽しいひとときでした!ラジオってやっぱり素敵だなぁ。
すごく興味を持っていろいろ聞いてくださって嬉しかったですね。実際に祇王と坂落のさわりもやらせて頂き、永田さんの波紋音と私の語りを聴いて頂くことが出来ました。
公演の詳細はこのページの右側などに書いてあります。ぜひお読み頂き、皆様のお越しをお待ちしております!

2012年4月3日火曜日

嵐の宴

今日は劇場でのリハーサルでした。
嵐になるとの予報のなか、強風吹き始めたころに劇場入り
夕方リハが終わった頃は電車が止まり始め
外を見れば暴風雨!!
これは帰れないなあ、と打合せをかねて劇場のカフェに。
さすがに誰もいなくて我々だけの貸し切り状態。
コーヒー頼んで後は水呑百姓でさんざん打合せをしてもまだ外は暴風雨。
さすがにおなかも減り、じゃあ〜〜〜〜呑むか?
ということでワインとつまみとパスタで宴会に(笑)。
まさかここで呑むとは〜〜と言いながら
なんだか結構盛り上がりました。
結局午後八時に雨が止んだので
無事帰途につくことが出来ました。
たまには嵐の中の宴も悪くないですね。

2012年4月2日月曜日

祇王

「祇王」というお話はあとから挿入された説話ではないかと言われています。他と文章のタッチも違うし、がっつり女人往生の話だし。本によっては挿入されている場所もまちまちです。
登場人物が細かく見れば1000人近くいる平家物語は、その98%が男性といっても過言ではありません。まさに男の物語です。きっと語り伝えていくうちに、「美しい白拍子が清盛に翻弄される」というお話は民衆にとってキャッチーだったのかもしれません。

ちょっとあらすじを見てみましょう。

ーーーー

栄華を極めた清盛は、横暴な振る舞いが多かった。
白拍子(男装の舞姫)の祇王は清盛の寵愛をうけ、一家はたちまち富み栄えた。しかし三年が過ぎたころ、十六歳の若い白拍子の仏御前が清盛の屋敷、西八条邸を訪ねてくる。清盛ははじめ追い返すが、祇王のとりなしで歌を聴いてみることにした。
すると清盛は思いもよらずその歌や舞に心を奪われ、祇王を追い出し、仏を迎えることに。
祇王は「萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはではつべき(草木が春に萌え出るのも(仏御前)、冬に枯れるのも(祇王)、もとは同じ道端の花。いずれも凋落の秋(飽き)にあうのが定めなのだ)」という歌を障子に書きつけて西八条邸を立ち去る。

その後祇王は、母親と妹とともにひっそりと暮らしていたが、清盛の使者を通じ、退屈しがちな仏御前を慰めるために屋敷に出向き、舞を舞うよう命じられる。
祇王は母親に説得されたこともあり、しぶしぶ屋敷に出向いた。屈辱に耐えながら、「仏も昔は凡夫なり 我らも終には仏なり いづれも仏性具せる身を へだつるのみこそかなしけれ(仏も昔は普通の人だった。私たちもしまいには仏となれるのだ。いずれも仏の本性を持つのに、それを分け隔てるのは悲しいことだ)」と泣く泣く歌った。

この屈辱に絶望した祇王は自害したいと言い出すが、母のとぢにいさめられ、二十一歳の若さで出家を決意。十九歳の妹と四十五歳の母もともに出家して嵯峨の奥の山里に庵を造り、念仏を唱えて暮らしていた。
春が過ぎ、夏が過ぎた秋の日のある晩、その庵の戸を叩く者がいた。開けてみるとそれは仏御前だった。仏御前は涙をおさえて、自分をとりなしてくれた祇王を貶めてしまったこと、 自分もいつか同じ道をたどるだろうと悟ったことなどを語り、かぶっていた衣を払いのけると、仏御前は頭を丸めていた。
祇王は仏御前を許し、四人は極楽往生を願ってひたすら念仏をとなえ、やがて往生した。

ーーーー



何年か前に、「祇王」の一人語りをやった時、あなたは女性だから清盛に捨てられた女の悲しい気持ちは分かるでしょうと言われて、困ってしまったことがありました。

女性と言ってもいろいろなタイプがいるし、一概に分かると言われても〜〜。(しかも私はどちらかというと耐えるタイプじゃないし〜〜〜)正直、当時の私は、演じてはいるものの女々しい感じがしてあまり共感できませんでした。

現代的に言えば、祇王は手に職があるのだから、男に頼らず生きていけばいいんじゃないかなあ…とか(←これは永田さんの最初の感想もそうでした〜)、母親のとぢもいかにも年老いた母らしくごちゃごちゃ言っているなあとか。仏御前は若くて浅はかで…。それでもってみんなで涙で袖をぬらしてばかり〜〜〜ああ、なんだかいらいらする!

しかし、
今回、もういっぺん読み返してみたら、

あれ?なんだか分かる。

祇王の悔しさや出家しても尚、心の苦しみから逃れられないことや、愚かしいまでの母親の心配がものすごくよく分かるのです。
自分も歳をとったんだなあ、とつくづく思いました。

そして何より、仏御前という人物がたいした女性だと思えました。
彼女は自分の芸を清盛に見せたかっただけで、祇王を追い落とそうとはこれっぽっちも思っていなかった。ずっと悔やんでいて、とうとう自分から清盛の寵愛を捨ててきたのです。まだ17歳にしかならないのに。

誰の心の内にも祇王がいて仏御前がいてとぢがいる。
これは4人だけど一人の女性なのではないかと思い始めました。
今はすべての登場人物がいとおしく思えます。
みなさんは、この「祇王」に出てくる4人の女性たちをどんな風に感じるでしょうか。

そうそう、ちょいちょい出てくる清盛の勝手振りも、すごく面白いですよ。
注意して聴いてみて下さい。

***********


「平家物語」
【出演】語り・金子あい/波紋音・永田砂知子
【演目】祇園精舎 ・祇王 ・橋合戦・坂落 ・先帝身投
【日時】4月9日(月)19時 /10日(火)14時 、19時
【会場】座・高円寺2 (JR中央線高円寺駅北口より徒歩5分) 杉並区高円寺北2-1-2 tel.03-3223-7500 http://za-koenji.jp/guide/index.html#link2
【チケット料金】前売3,500円/当日4,000円/高校生以下1,000円(全席自由)
※当日券は開演1時間前より販売。高校生以下割引は平家物語実行委員会のみで取扱。※未就学児のご入場はご遠慮下さい。
【チケット予約・お問合せ】平家物語実行委員会 090-6707-1253 heike@parkcity.ne.jp

2012年4月1日日曜日

祇園精舎

祇園精舎の鐘の声…
誰もが暗記したことのあるあの有名な文章の続きに何が書いてあるかご存じですか?

ちょっと現代語訳をご紹介しましょう。

祇園精舎の鐘の音は、諸行無常の響きをたてる。釈迦入滅のときに白く変じたという娑羅双樹の花の色は、盛者必衰の道理を表している。ただ春の夜の夢のように儚いものである。勇猛な者もついには滅びてしまう。全く風の前の塵と同じである。驕り高ぶった人も、末永くは続かない。外国の例を探してみると、秦の趙高や唐の安禄山など、これらはみな旧主先皇の政治にも従わず、楽しみを極め、人の諫言も聞き入れることもなく、天下の乱れることを悟らずして、民衆の嘆き憂いを顧みなかったので、末永く栄華を続けること無しに滅びてしまった者どもである。近く我が国にその例を探してみると、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、これらは皆驕れる心も猛悪なこともそれぞれに甚だしかったが間もなく滅びてしまった。ごく最近では六波羅の入道、前太政大臣平朝臣清盛公と申した人の驕り高ぶり横暴な有様は言葉で言い表せないほどである。

…「栄華」という言葉は今の政治には当てはまらないけれど、この文章の後に思わず最近の我が国の政治家を並べ連ねたいほど。
読めば読むほど、今この時代に重なってきます。

原文はこの後、清盛の先祖が誰誰でもとは皇族であったが、人臣に連なり清盛の祖父正盛までは、諸国の受領(知事とか役人)だったけれど、まだ宮中に昇殿を許されなかった。と結んでいます。

有名な「諸行無常」が印象に強いこのオープニング、実はこのような乱れた世にした原因は時の為政者達だということをしっかりと言っていたのです。

192章段に及ぶ壮大な物語をたった4つほどでまとめるのは難しいですが、そんなことも頭のの隅に置きながらご覧いただければと思います。


***********

「平家物語」
【出演】語り・金子あい/波紋音・永田砂知子
【演目】祇園精舎 ・祇王 ・橋合戦・坂落 ・先帝身投
【日時】4月9日(月)19時 /10日(火)14時 、19時
【会場】座・高円寺2 (JR中央線高円寺駅北口より徒歩5分) 杉並区高円寺北2-1-2 tel.03-3223-7500 http://za-koenji.jp/guide/index.html#link2
【チケット料金】前売3,500円/当日4,000円/高校生以下1,000円(全席自由)
※当日券は開演1時間前より販売。高校生以下割引は平家物語実行委員会のみで取扱。※未就学児のご入場はご遠慮下さい。
【チケット予約・お問合せ】平家物語実行委員会 090-6707-1253 heike@parkcity.ne.jp